かぐわしきは 君の…
  〜香りと温みと、低められた声と。

    9 ( ほどけた髪におおわれて )



 思えば、何もかもが不意なこと。

こうまでの余波がこぼれるほどという、
もはや抑えが利かないほどかも知れぬよな、
感情の揺らぎを抱えていたブッダであったことも。
それに気づいて、ならばそれを抑え切ろうぞと、
想う心に封をするという
悲痛なおまけ付きの固い決意をしたその同じ日のうちに。
選りにも選って、そんなまでして想いを封じた、
それって矛盾してないかという哀しい選択をした当の相手、
一番に気づかせてはならないイエスから、


  「…何ぁんか おかしいんだよね、ブッダ。」


  背条が凍りそうな言いようをされてしまったのも。






     ◇◇◇



  「あ…っ。////////」


この胸の動揺をどんな状況下でも抑えられるようにならなければと、
そのためならばと、一線引かねばとも構えかけていたというに。
そんなことなぞ知る由もない筈のイエスが、
それでも…何とはなく様子がおかしいというのは感づいたものか。
今日一日、パタパタと用事を作っちゃあ動き回っていたブッダが、
買い出しにまで出るとしたのを呼び止めて…。

 ただ呼び止めただけに収まらず、

頼もしい手がこちらの頭へ添えられて、
そこへ連なる腕をもて、背を抱きくるむ手際のなめらかなこと。
巧妙に逃げを打ってた相手をやすやすと捕まえた神の和子は、
少しほど寂しそうな眼差しのまま、
その相手の頬へとやさしい接吻を贈り、

  「……なっ。////////」

愛しい人をいたわるような慈愛込め、
その総身をぎゅうと抱きしめて、

 「…何ぁんか おかしいんだよね、ブッダ。」

耳のすぐ間近で、
疑いを含んでだろう低められたお声で囁かれたものだから。
その総身を震わせ、あっと身を竦めたのが最後のあがきか、

 「あ…っ。////////」

真っ赤になったお顔を隠したいかのように、
神通力で螺髪に圧縮されていたはずのブッダの髪が、
ぶわっと一気に肩や背へとあふれ出し、
あっと言う間の見る見るうちに、深い藍色の絹が二人の足元を埋めてしまう。

 “あ…。//////////”

隠し通すつもりだった動揺が、
選りにも選ってイエスの手でやすやすと暴かれたようなもの。
動転しきりのブッダが、
もはや抵抗も忘れて身動きひとつしないでおれば、

 「ねえ、今日のブッダって本当におかしいよ。」

昼からずっと立て続けに用事を思いついてはこなしてるけれど、

 「それって、私を避けてのことじゃない?」
 「え?」

想いも拠らない言葉がイエスからそそがれる。

 だって、いつもだったら一人で黙々と片付けてる。
 それが今日はいちいち手伝わせていて、でも、

 「次から次に指示とか道具とか手渡されて、
  私が傍に寄るのを遮ってるみたいだし。」

 「そんなことは…。」

応じる声がよじれて震える。
ああもしかして、今朝の植物園で、
咄嗟に突っぱねるような格好をしたの、覚えているイエスなのだろか。

 「それに、ちょっと触れただけでこの有り様だしね。」
 「ちが、違うんだ。」

避けるだなんてとんでもないと、顔を上げ、真っ直ぐに見つめれば、
間近にあったメシアの双眸は、やはり微かに沈んだ色合いをたたえており。
表情も動かないままなのが、ブッダには落ち着けない。
日頃の無邪気で柔軟な風貌からは想像できないほどの、
威容さえあろう重厚な落ち着きぶりであり。

 「立ったままでの話ってのも何だから。」

さほど激さぬ声のまま、
ブッダの肩を、そこへ流れる髪の上から軽く触れ、
部屋へ戻ろうと そおと促す。
強引さはなく、だが、いつもの甘えるような気色もなくて。
こうまで事務的な態度って、イエスから示されたことあったっけと、
覚えのないほどの静謐さが、
ブッダの心持ちをますますと冷ややかな不安でもって掻き乱す。
そんな彼の傍らで、

 「えっと…。」

螺髪がほどけた髪は、たいそう長いし量もあり、
踏んでは失礼と思うのか、
背中へ回していた腕で器用に掬い上げると
そのまま肘のところへすべらせての1つにまとめ、
あちこち見回してから、傍だった押し入れを開けると小物入れを開け、
そこに入っていた大きめのヘアゴムを取り出すイエスで。
それはたまに彼自身が使っていたもので、
とはいえ、このごろでは茨の冠で器用に間に合わせているため、
最近はほとんど御用済みとなっていたもの。
それを使って、中折れという古風な落とし結びに束ねてくれて。

 さて、と。

あらためて、六畳間へ戻ると向かい合うようにして腰を下ろした二人であり。

 「急にというのは、
  ぼんやりな私が気づいたのが遅かったから
  そう感じるだけなのかもしれないけれど。
  今朝方まではいつものブッダだったのに、
  植物園から戻ってからは何だかおかしいってありありしてる。」

 「…っ。」

ブッダが思わず首をすくめたほどに鋭い指摘で、だが、

 「正確に言えば、蓮がああまで咲き乱れてからだ。
  一旦は落ち着いたはずなのに、
  何だか空々しい態度ばかりするし、食事は残すし。」

 「………。」

何でもないという態度、繕っていたのは事実であり、
何ともやすやすと見抜かれている彗眼には舌を巻くばかり。
ただ、

 “…笑ってたくせに。”

それは朗らかな態度を通していて、
おかしいなと気づいてたこと、
こちらにちらとも匂わせなかったイエスだったのも事実で。
人のことは言えない立場だけれど、でもでも、
偽ってたのはお相子じゃないかと、
これこそ幼い子供のような反駁抱えて、
小さく揃えたお膝へ載せた手を、ブッダはただぼんやりと見下ろしている。
どう見てもイエスからのお説教中という格好の対面を続ける二人であり、
しかも、態度を取り繕っていたと指摘されたことがよほどに堪えたか、
気を張っての集中が解けたからだけとは思えないほど、
肩を落としてしょんぼりとしているブッダであることへ、

 「………。」

そちらもちゃんと正座をして向かい合ったまま、
日頃の明るさに比すれば やや沈んで見える、
それはそれは静かな表情で見つめていたイエスは。


  ややあって、
  抑揚の少ない声でこう告げた。


 「もしかして、天世界へ戻りたいのかい?」





   ……………………………………え?




聞こえはしたが、
日本語も解せたが、

意味が、

するすると逃げ回ってなかなか飲み込めない。

いや

見たくはないからと
目を逸らしているから捕まえられぬのか。




 「ねえ、ブッダ。
  そろそろ天世界へ戻りたくなったんじゃない?」

 なにを いっているの?

 「そうだよね。
  だってそもそも、私が付き合わせたことなんだし。」

 ねえ、なんでそんなことを今

 「家のこととか、全部。
  それ以外でもかな?
  大変なことは みんな
  ブッダが手際よくこなしてくれてるのに甘えてばかりで。」

 …ちがう

 「私があまりに無神経なのも、問題だしね。」

 違う、ちがうってば、

 「いろいろあり過ぎて、疲れちゃっても仕方がないよね。」

 ちがうんだ、違うっ

 「だから、ネ? ブッダ…。」



何か言いかけたイエスだったのが、顔を上げたそのまま言葉を失くす。
俯いていたブッダがいつの間にか顔を上げていたからで。

  しかも、

瞬きを忘れたように大きく見開かれた深い瑠璃色の双眸から、
はたはたと止めどなくあふれているものがあり。
表情は消え去っての、だが、
それが するすると絞られてゆき、強い絶望という悲痛さに引き歪む。
震える唇が、それでも歪みながら押し開かれると、

 「違う…。わたしは…私は、私たちは固執や執着をしてはならないんだ。」

紡がれる声は抑揚のない、ところどころが掠れぎみな弱々しい声で。

「君が誰か一人とこだわることのない、不偏のアガペーを大切にするように。
 だというのに、私は君にとらわれてばかり。」

ああ、困ったような顔をさせてしまったね。
そうならぬようにこそ したかったのに、
どうしてこうも、私は空回りばかりしちゃうのかなぁ。

 「一緒に居たいだけなんだのにね。
  今のように ただ隣りに座ってたいだけなのにね。
  君が話しかけてくれたり、どうしようって頼ってくれたり。
  同じものへ笑ったり憤慨したりしたいだけ。

そんなささやかなことであれ、欲してはいけないということを、
今日はつくづくと思い知らされた。

「幸せだと知らず浮かれてしまっては、あんな騒ぎを起こすようではね」
「…っ。」

自分も同じような奇跡はさんざん起こしていると言いたいのだろう、
弾かれたように顔を上げたイエスを、だが、ゆるゆるとかぶりを振って押し止める。

 「君は神の子だ。奇跡の力は最初から備わっている」

それこそ制御する必要なんかない祝福の力だが、私のはそうではない。
後へ続く人々を導くために使いなさいと
尊き意思から授けられた神通力がかかわる力なのだろから、
乱れた恣意により侭に濫用してはいけない代物で。

 「世界を掻き乱すだけという無様なありさまでは遠からず罰を受けよう。
  かつての阿修羅が落とされたような修羅道へ、
  もがきあがくためにと落とされるか、或いは、
  存在自体を抹消されるか。」

恐ろしい事態なのだろに、しかも彼の身へ降りかかることなのだろうに、
それは淡々と紡いだブッダは、だが、

 「このままでは私が滅するだけじゃなく、
  君にまで迷惑がかかってしまうやも知れない…っ。」

そうだ、それが一番に恐ろしかったのだ。
自分が至らなさから修羅道へ堕とされるのは構わない。
だが、何の罪もないイエスまでが、
何らかの関わりもて失道に追いやったのじゃないかと邪推され、
存在や名を穢されるのは堪らない。
だから、イエスにさえ知られてはならぬとし、封をして隠そうと決めたのに。

 「………。」

そうという、自身の想いを辿っていたブッダは、

 「でも、それだってもしかしたら
  君から嫌われたくなくての取り繕いかも知れないよね。」

 ただ傍に居たいからと、卑怯なことを押し通そうとしただけで………。

 「そんなのやっぱりただの我欲   ………っ」

自分がどれほど醜く穢れているか、
ただただ訥々と、哀しい独白を紡いでいた声が、不意に途切れる。
ブッダが言葉を切ったのではなく、唇へと触れた何かがあったからで。
もう何も見えなくなって居た双眸、
ゆっくりと焦点を合わせれば、自分へと延べられた腕がある。
見慣れたTシャツ姿のイエスが、正面に座したままでいて。
ただ、少しほど腰を浮かせて、こちらへ身を乗り出しており。
そうやって腕を延べると、
ブッダの唇を 出来る限りのそおっと、
だが触れて居ることは届くような力を込めて、
指先で押さえている。
黙れと言えばいいのに、もういいと言えば黙ったのにと、
力の籠もらぬ眼差しで、そんなことをした友を見やれば、


すうと息をし、それをしみじみとゆっくり吐き出したイエスが、



 「なぁんだ。」



実にあっけらかんとそう言って。


 「私の気持ちに気づいたからじゃあなかったのか。なら良かった。」


   ……………………え?


「だって、私のせいでブッダが、
 悟りも穢されの、しかも追放とか何とか、
 堕天みたいな目にあったらどうしようって思ってた。」


修羅界に落とされるって言うんだね。それは知らなかったなぁと。
咬みしめるように口にして、その口許が微かにほころんだのは、だが、
愚かな告白を連ねた友を揶揄したいからではなくて。
何かしら、
彼の内にて 押さえ切れない幸いが堰を切ってあふれ出そうとしているのを、
彼自身がわくわくと感じ入っていたからだったようで。

 「だって。
  まるで今朝見た あの蓮の花みたいに、
  苦行の末だと思えないほど 清らかなブッダが、
  そんな謂れのないことで苦界へ堕とされるのは ヤだったから。」

そこに神々しくも据えられし、
透徹な光を集めた至宝を 恭しく覗き込むように。
深色の瞳を優しくたわませ、
目の前にいる最愛の友へ、
今まで見たこともないような
それはそれは穏やかで暖かい笑顔を向けたイエスは、


 「あのね? 私もずっとずっと、
  ブッダと離れ離れになるのはヤダって。
  そんなことばかり考えていたんだよ?」


まるで、世界で一番大事なことを、
でもでも、二人だけの内緒だよ、いいねとしたいような。
そんな嬉しくて嬉しくて堪らない想いを込めたのだろう、
ようよう響く低められた声で、
ブッダへ向けてはっきりと囁いたのだった。









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 *起承転結の最後の“結”の前半がこう来ましたというところで、
  さあさあ、最終コーナーを回りましたよ。
  (こらこら、せっかくの雰囲気を…)
  続きも頑張って書いてますんで、しばしお待ちをっっ!

ご感想はこちらへvv めーるふぉーむvv


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